押し隠している話

2月20日、彼が大怪我をした。
選手生命にかかわる怪我だと聞いて、先に泣いてしまったのはわたしの方だった。
高校時代、先輩が同じ怪我をしていたから、事の深刻さはすぐにわかった。

わたしはまだ学生だから、まだまだ甘い判断基準しか持っていないのだろう。

冷静に、彼をひとりの社会人として見つめた時に、どのような評価になるのか。
名誉あるお仕事だがお給料は扶養の枠におさまる程度、活躍の度合によって査定され、支給額はほぼ毎月異なる。運営会社はお粗末な零細企業で、個人事業主扱いのため社会保険や各種手当はなし。怪我をしたら休業・休職になるが、その間の手当はなし。
安定とは対極に位置するような、大変リスキーな職業ではある。

もちろん、この仕事にはそれを補って余りある(余りはしないかもしれないし生活を考えると補いきれない点もあるが)魅力があるのも事実だ。
才能ある若い芽が次々に現れる世界で、息の長い選手はひと握り。
彼はかなり優遇されていた方だったけれど、ルーキーイヤーに大怪我をしてしまったし、復帰したとしても活躍の場があるのかどうかもわからない。

わたしが良識と狡猾さ、そして真っ当な結婚願望を持ち合わせた自立した社会人だったとしたら、今の彼の状況を見て自分の人生設計を見直すだろうし、今よりもっと冷徹な判断をしていたかもしれない。
彼の怪我は確かに心配だけれど、彼との将来のことの方が心配だなんて薄情だろうか。

わたしは未熟で、今自分がすべきことにきちんと向かい合うことから逃げ続けて、楽な方へ楽な方へと流れ続けている。
切り捨てる勇気も覚悟もない。
現状維持が、健気な彼女を演じることが一番楽な選択なんだと、あの時咄嗟に判断していた。
一人では立てなくて、寄り掛かるしなだれかかる誰かが必要で、それを得るためにはいくつもの偶然と幸運と折り合いが必要で、わたしにはもう、それを再構築するような、そんな気力はなくて。

情が深いだなんて言って仄暗い怠惰な感情を押し隠している。

愛は死んでしまった。自分の中でそう唱えるたびに泣いてしまうけど、裏切られたショックもまだ忘れられないけど、感情は未だ納得していないけど。
きっと彼はまた繰り返すだろうとせせら笑う自分と、疑い続けるわたしの不安を彼に否定し続けてほしいとすすり泣く自分は同じ割合で存在していて、交代で顔を出す。

「就活解禁直後の大変な時期だけど、怪我した彼に献身的に尽くす健気な彼女」を演じれば、彼に大きな大きな貸しを作れるのではないか、あるいは彼の心の柔らかいところにつけこんで、今度こそ彼の唯一になれるのではないかなんて、たいへんに浅ましい。
愛とは無償だと信じてきたわたしがこんなことを考えてしまうのだから、やはりもう既に愛は死んでいるのだろう。

冷たくなった愛を抱えて、わたしは寛大で健気な彼女のふりをして、彼のそばに寄り添う。
きょう、彼は手術を受ける。