嘘をつく話

嘘をついたら、嘘をついたことを覚えておかなければならない。
2015年の終わりから2016年のはじめの間にいくつ嘘をついたのか、たった1ヶ月程度の間のことなのに、もうわからなくなってしまった気がする。
なにもかも億劫で、大学はもとより無遅刻無欠勤を続けていたバイトさえ、嘘をついて休んだ。
すべてが気怠い。

項垂れて黒々しい感情に浸る自分を無理矢理日常に嵌め込んだせいだ。
数人の友人たちに途切れ途切れに溜め込んだ毒を吐き、同情や同意や励ましを請い、カメラロールを開いた際に保存した件のスクリーンショットが目に入るたびに吐き気をもよおし、全く頭に入らないまま参考書を目に映し、不意のフラッシュバックに苛まれながらも、日常に戻ったつもりでいる。

選択肢は多い方がいい。選ばれる立場としても、選ぶ立場としても。
武器を得なければならない。いつかの自身を助けるあらゆる楯を、矛を、手に入れなければ。

コップ一杯の清廉な水に、たった一滴の毒の雫が落とされてしまったら、もうその水は飲み干せない。戻りようがない。もはやそれが清廉な水ではないように、わたしも彼も別人になってしまった。

体を重ねたところで崩れたものが元通りになるわけではないし、行為を許すことが信頼の証ではない。もはや行為に価値はないのかもしれない。
信頼の方法なんてない。一方通行の束縛にしかならない。もう何をしても無駄なのかもしれないと諦めかけている。
情は深いつもりだけれど、繋ぎとめているのはただの保身でしかないのだろうし、いつだって誰だって自分が可愛い。
この人になら裏切られてもいいと思える人に出会いなさいと彼の人は言ったけれど、そんなのきっと夢物語だ。
そんな人はきっと現れない。

もうついた嘘は覚えていないし、これからも日常の綻びを嘘で繕っていくと思う。きっと彼にも、そして自分にも。
それを逐一覚えているのは、ある意味自傷しているのと同じことかもしれない。
痛みに鈍感でいることがいちばんしあわせだけど、わたしにとってそれは死に等しいから、ふしあわせだと泣きながら、死にたがりながら生きていたいよ。