アウトプットの話

改姓して2ヶ月余りが経った。

結局結婚している。

 

 

あれだけ傷付いて悲しみに暮れて憎しみを募らせても、結局切り捨てることも吹っ切れることも諦めることもできずに、とうとう結婚してしまった。

 

婚姻届を出すたった3ヶ月前(!)にも、以前程直接的でなくてもそれに近い裏切り行為をしていたことが発覚して、話し合いの場を設けた。

到底話し合いとは言えない時間だった。数日間時間を取っても、彼から何か引き出せたわけでもない。

私自身が尋問上手ではないことも一因であったかもしれないが、それよりも遥かに彼が供述下手であったからだ。

 

元々言語化が苦手で、この能力の必要性は感じながらも特別向上心はなく、訓練をするわけでもなかった彼だが、本当にもう致命的にアウトプットができないことが今回わかった。

あるいは言語化ができないのではなく、言語化するような感情や思慮がそもそもなかったのかもしれないが…これは本当に最悪なパターンなので、そうであると確信する時がやってこない事を祈っている。

 

正直なところ、彼のした行為への悲しみよりも、彼のアウトプット下手さのインパクトの方が大きかった。だからこそそのまま結婚したのかもしれないが。

 

わたしは感情的でありながら理屈っぽく、議論をするのも聞くのも好きだ。当然、同様に意見や考えを述べられるような人を好ましく思う。

単純にあれこれ言い合うのが好きだし、アウトプットすることで理解を深めたり考えを整理したり、認識を改めたり新しく知見を得たりできれば尚良い。

とはいえ自分の価値観と乖離した考えの人との会話や、論点のずれた会話、容量を得ない口調を本当に苦痛に感じてしまうので、かなり限定的で独りよがりな嗜好ではある。

 

彼にはこの点を求めなかった。

それよりも居心地の良さや価値観の近似を優先してしまったからだ。

 

幸い、わたしは問題点や論点を一つずつ整理・列挙して、一つずつ解決していくことに喜びを感じるタイプだ。

自分の感情を分析して要素化して、一つずつ解決方法と共存の方法を考えよう。それらを彼に提示して、擦り合わせてお互いを確認し合おう。

 

今回のことも前回のことも、タイミングとしては私がリソースを彼以外に多く割いた時だった。だから今後も仕事やその他の物事にリソースを割くようになったらまた彼は繰り返すと思っている。

しかし、リソースの配分は仕方ないとしても、彼への共有を怠り理解・協力を求めなかった私にも非があったかもしれない。

 

彼には言語化能力の訓練をしてもらう。内容はなんでもいいが、継続できるものが望ましいだろう。より有効であるなら私も同じように訓練しよう。過程はどうあれわたしたちはもう夫婦で、共同体なのだから。